雑記✑

20代でランナーになると見える世界が2割増しで違う件

なんとか家に向かう最終に乗り込めた日。

ガラガラの終電の中で、向かいには大きな声で電話する男性が座っている。

聞くところによると駆け出しのお笑い芸人のようで、「次のライブで絶対に成功させるぜ!」とかなんとか叫んでいる。

やけに高そうなバッグを持っているからまあ過去には色々あったのだろう。

こんな感じで、上京してきて感じることは、「選択肢の多さ」そのひとつに過ぎない。

生き方も暮らし方も働き方も価値観も、ひとつに縛られない選択肢を与えてくれるのは東京で暮らす魅力だと思う。

「俺の20代と言えば」

会社とかで働いてると、よくそんな言葉を耳にする。

「もうええわ」って内心思いつつ、武勇伝を聞かされたら、へーそんな感じだったんだと妙に聞き入ってしまったりする。怖いもの見たさに近いのかもしれない。

私の20代と言えば、統括すると割とガチで走ってるランナー系女子に分類されるのだろうか…。

ベテラン勢には珍しがられて「まあ、若いのに。もっと楽しいこともあるでしょう」と、よく言われる。

まさにその通りで、正直楽しいことは沢山ある。

今日は普通にクラブで飲み明かしたかったなって思いながらジョグする夜も結構ある。

だけど、20代でランニングをやってて良かったと思うことも山ほどある。

要するにこれが、数十年後「私の20代と言えば…」とか言って煙たがられるやつなんだろう。

みんな違ってみんないい人生

やっぱり思う。ランニングをしている人間の幅はとてつもなく広くて多いことを…!

東京に来て感じた「選択肢の多さ」と同じくらい、特に都会に存在するこの幅の広さははかり知れない。

私の倍以上の人生を送っている人もいるし、3倍速の人生経験を積んでいたりとか、話してみると驚くべきような運命を辿ったりとか。

すごい大惨事みたいな人生経験を語られたとしても、そんな人の話でさえ新鮮で「みんな違っていい人生だな」と年下のくせに生意気に思ったりとか。

ランニングをしていなかったら、こんなにバラエティー豊かな人生経験をしてきた人と出会うことはなかったなあ。

日々そんな人たちの何気ない一言や、会話にとても救われることがあるので、私はその度に20代でランニングをしていて良かったなと思う。

ランニングの先に見える人生と

趣味に没頭することで先に見える人生は何とも美しい!!

フルマラソンを完走した後のあの達成感は、一部依存性があるのではないかとも。

だけど、ランニングをすることで得られるのはナイスなボディとか、体力や健康とか、尊敬とかそういう類のものじゃなくて…

ランニングの先に見える人生は、その過程が大きく左右しているんじゃないかと、私は思います。関わる人たち然り。

はじめて社会人になった時に一番にでできた友達は10つ上の料理人だった。

ランニングを通して知り合っただけなので、職場以外の年上の人と全く接点のなかった私は警戒しまくっていた記憶がある。

他愛のない話をしながら過ごした3年間では、1日の半分ほどを過ごす会社以上に色んなことを教えてもらい、そこから新たな人とつながり、また新しいことを知れて…。

より充実して健やかな生活を過ごせたと強く思う。

ランニングを通して人生が充実したなと感じた出来事のひとつです。

走れるけどあんま走りたくない、でいい。

毎日が忙しかったり楽しかったりすると、なかなかランニングが疎遠になってしまう。

それで良いと思う。20代は特に。

でも、会社の人とばかりつるんだり、昔からの仲間とだけ遊ぶとか、居心地はとても良いのだけど、その先は一体どうなんだろう。

たくさんの人と出会い人生を豊かにしてくれる関わりは、早ければ早いタイミングの方が自分の糧になるので得なんじゃないか?!

技術とかスキルとかはさておき、20代でランニングをはじめることでちょっとだけ人生が豊かになるかもしれませんよ。

「あんまり走りたくないな。走れるけど」、そんな日は、ランニングのその先にある自分の“人生”にスポットライトをあてると、もうちょっと楽しくなるかもしれない。

(ちょっと重いな。笑)