雑記✑

マラソン大会にはじめてエントリーした日の話【初マラソンを考えている人へ】

定期的に「フルマラソンに挑戦しようと思う」といった報告が来る。

なぜ私に報告が来るのかは分からないが、おそらく私がマラソンをやっているからだろう。

「頑張れ」「応援してる」「練習付き合うよ」などありきたりなことを言うが、結局出場したのかそもそもエントリーしたのかは謎だ。

そんな私にも、もちろん初めてマラソン大会にエントリーした日がある。

 

ずっと陸上部だったから走ることに関しては特に抵抗はなかったけど、たとえ陸上部だったとしても、42㎞走るとなるとだいぶ話が変わってくる。

秋の夜長に、初マラソンエントリーの日の話をしたい。

長年なぜか走りつづけていた私

小学生から走りはじめ、あれよあれよと大学まで陸上部で走っていた。

大学進学時は陸上を続けるかどうか一番瀬戸際だった記憶がある。そもそも私立大学に進学した場合、学費がバカ高いからアルバイトで学費を稼ぐために部活はしない約束を親とにぎっていた。

推薦、前期、と大学受験に落ちまくって絶望していた私だが、奇跡的に3月20日くらいに後期試験で受けた大学に下から2番目の順位で滑り込み合格した。

これでまた大学でも部活が続けられることになった。

大学には魅力的な部活が多かった。

中でも、自転車部か馬術部か陸上部かで迷った結果、自転車は死ぬほど高かったし、馬術部は死ぬほど朝が早いので消去法で陸上部になった。

どっちにしろ、私は何かに乗ってでも走っていたかったのだろう。

冬になると大学構内にイスと書かれた雪のイスが登場するようなユニークなキャンパスライフでした

そんなわけで、鳥取という大田舎の大学に進学した私は陸上部で4年間過ごした。

それはまあいろいろあったし、身体を壊したこともあれば、部内恋愛をしまくった記憶も色濃いのだけれど、充実した4年間だった。

“鳥ソン”(通称:鳥取マラソン)

大田舎鳥取にも鳥取マラソンという県をあげて開催するマラソン大会が存在する。

在学中に毎年補助員として600円の謝礼と引き換えに駆り出されていたのでよく知っている。名前が長いので陰ながら“鳥ソン”と呼ばせてもらっていた。

鳥ソンのスタートはこの広大な砂丘です。(私が撮影しました)

コース的にはまあまあ過酷だし、風も強いので生涯走ることは無いんだろうなと思いながら、補助員をしつつ道端の珍しい虫などをスマホカメラで撮影していた。

鳥ソンがローカルな大会であることは間違いなく、レース中の沿道からは温かな応援もあり、自前のエイドステーションが路上に並ぶ。

出場した仲間は「2回も近くの民家にピットインしてトイレを借りたおかげで、念願のサブ3できたわ~はははは」と喜んでいたけど、東京マラソンでそれをやると間違いなく不審者だ。

とまあこんな感じで、優しくて寛容すぎる民が多い鳥取ならではの魅力的な大会である。

震えない手でエントリー

卒業が近づく大学4年生、私は常々どうやったらお世話になった鳥取に感謝の意を伝えられるのかを考えていて、そこで思いついたのが鳥ソンへの出場だった。

お世話になった先生、仲間、地域の人々…元気に走ることで感謝が伝えられたらと思った。

そんな24時間テレビのラストのちょっとしたドラマティックな妄想をして、脳内にはすっかりサライが再生されていた。

 

そして、これといって深く考えずにエントリー。

 

鳥ソンはマイナーなので、定員オーバーになることなく余裕でエントリーできたが、当時時給760円のアルバイトで賄っていた私にとって10,000円程するエントリー費を捻出することがどれだけ大変だったか…。一体、私が何をしたっていうんだ…!!

必死の思いで英検の試験官のバイトや、クマの着ぐるみを着て踊る時給が高い日雇いバイトでエントリー費を稼いだ。

 

そこからは卒論でなまった身体を再起動すべく、マラソン大会に向けた練習をはじめた。

正直何をしたらいいのかわからなかったので、2時間ジョグをしてみたり、部活動に顔を出して後輩たちと走ってみたりしたけど、最後の最後まで何をしたらいいかわからなかった。

卒業シーズンということで、鳥ソン出場前日まで九州旅行に出かけ帰宅が23時になってしまったことなどが重症さを物語っている。

そんな状況下でも焦らないほどには、「マラソンとは何か」的なところから結局分からないまま当日をむかえた。

初マラソンが残したもの

私が初めてエントリーしたフルマラソンは、思った以上に楽しかった。

並ぶルールが分からず最後尾からスタートし、カニやセーラームーンの仮装をしているランナーたちとスタートをきった。

 

そして、お世話になった景色を思い出しながら走った。

たくさん来た鳥取砂丘、肝試しをした樹海、チャリで来ていた遠すぎるボーリング場、初彼と食べた大判焼き屋、彼氏とけんかし車から降ろされた延々と続く農道……ろくでもないことも含めて全ての思い出が蘇ってき、記憶に追い越されないように必死で走る。

結局ハーフの距離を過ぎたあたりでしんどくなって以降はほぼジョグペースだったが、沿道や補助員の後輩たちからの応援を受け、感動なのかしんどいのか苦しいのか嬉しいのかわからない涙を流しながらゴールをした。

 

初マラソンは3時間39分52秒だった。

 

感謝の気持ちをどうにか表そうと思ってエントリーした鳥ソンで、当初立てていた目標は達成できた気がした。

私の願いを十分にかなえてくれた鳥ソンに感謝!苦しい!もう一生マラソンなんて走らない!ありがとう鳥取!

今でもあの時のゴール後の熱い気持ちは覚えている。

鳥取はほんとうに自然が綺麗だったなあ(これも私が撮影しました)

 

就職して、鳥ソンどころか鳥取の生活さえ古い記憶になっていたある日、ポストに見知らぬ茶封筒が届いていた。

 

 

『東京マラソン準エリートのご案内』

嫌な予感がする。

 

どうやら当時の準エリートの基準タイムが3時間40分で基準を8秒ほど更新していたらしく、加えて鳥取は人口が少ないので私みたいなやつが対象に含まれてしまったらしい。

その茶封筒がきっかけとなり、それから約6年まだ走っている。(もちろんちゃんと東京マラソンには出ました)

 

初マラソンが残したものは、思い返すとこまごまとあったけれど、何よりも走り続けるきっかけを与えてくれたと思っている。

鳥ソンに出ないと東京マラソンのチャンスはなかった。東京マラソンのチャンスがないと今も走り続けていなかった。今も走り続けてなかったらランニングを通して素敵な仲間と出会うこともなかった。

あの日クリックしたエントリーボタンが、全て現在までつながっていると考えると感慨深いものがある。

何かがはじまるきっかけは、いつもひょんなことなのかもしれない。

そのひょんなことが、私の鳥ソンのようにマラソンの可能性だって十分にある。

何か新しいことにチャレンジしてみたい人、大学時代に何か達成させたい人、20代のうちに何かやっておきたい人、還暦までの目標が欲しい人。

 

そんな誰かの選択肢に、「フルマラソンのエントリーボタン」がありますように。