会社を辞めて2カ月が経過した。
ノンストレスで好きな仕事でご飯が食べられることが心底ありがたいし、何の保証もない中でこうやって自分を武器に収入を得られていることが誇らしかったりする。
ひとつ齟齬があるとすると、「フリーランスになると自由な時間が増える」と思われがちだし言われがちだし、私も正直そんな生活を描きがちだったということ。
ランニング視点で考えてみると、好きな時に好きなだけ走れるんじゃないかとか期待していた。
しかし正直、そう甘くはなかったなあ・・・(この経験は切実にいつかnoteにしたい)
少なくともこの2カ月間はアップアップな毎日だった。
意外と不遇な毎日を送っていたけど、苦労を売りにしたいわけでもなかったので誰にも言わなかったし言えようもない。
とにかく寝る間も休みも返上して働いても、その半分は税金に消え、残り半分はバカ高い家賃に消えていく。
「ああ、息するだけで金なくなるじゃんか~」とまあそんな毎日がリアルである。
走る時間がないとか言うけれど・・・・
ランナーにとって、毎日の生活で欠かせない「走る時間」。
走る時間がない、というのは本当にそうなのだろうか。
「私は時間がある方が走らない」のではないかと思っている。
現在の私はかっちり決まったスケジュール感にとらわれない毎日を送っているが、なんやかんややることはある。
「あの原稿終わらさないと」とか。
「メールがめちゃくちゃ来ていたな」とか。
「気づけば部屋がゴミ屋敷だ」とか。
そんな些細なことだけで、何となく「後で走ろうかな」と後回しになってしまう。
追い詰められているのか?それとも、後でできるだろうと思っているのか?
そんなこんなで気づいた頃には外も真っ暗で「全然走る時間ないじゃん!」
と、そういったところだ。
「限られた時間」が「より有意義な時間」を醸成する
逆に、会社員で働いていた時は、
「今日は帰りがかなり遅くなったからいつもより早いペースで1時間ジョグしよう」
「明日は夜飲み会だから、出社前に朝練するか」
と時間がないからこそ、ないなりにうまく時間を作りトレーニングをしていた。
質の高いバランスのいいトレーニングができていたのは間違いなく、自由な時間がない会社員時代だった。
限りある時間をいかに有効に使うか、ということが鍵を握っているとつくづく思う。
私も私サイズの生活の中でそういう考え方を持ちたいな、と改めて感じる始末である。
「時間がない」が本当の要因なのか?
あと、走る時間がないというのは本当に「時間がない」のが要因なのか?
これは自問自答して思うことだけど、「時間がない」と思っていることも、実際は「今日は走らなくてももいいかな」という自分の気持ちの負けの部分の現れではないだろうか。
ちょっと足が疲れていたり、外が暑かったり、眠たかったり・・・
そんなささいな要因を、「時間がない」という言葉で片づけてしまってはいやしないか。
少なくとも私はそういう時もある。正直でよろしい!
忙しくて時間がない人は、
・通勤ランに移行
・時間がある時に分けてランニングをする
というやり方もおすすめなのでぜひ実践してほしい。
が、無理くり「走る時間がない」で片づけてしまいそうな人はそこまで無理して走らない方がよいと思う。
まだまだ長いランニング人生だ。気長にいこう。
「会う時間がない」で別れる男はろくでもない
最後に、くどいようだけど「時間がない」というのは何においても理由にならないことを覚えておきたい。
昔付き合っていた人に別れを切り出された時、「仕事が忙しい、会う時間がない。」と言われたことがある。
「ほんならあんたは飯食う時間も寝る時間もないんな?!昨日もツムツム新記録更新しとったじゃねーかよ!」と情けなく逆上した私だが、その時の私はその理由が本意じゃないとは知る由もなかったんだけど。
「時間がない」を理由に別れを切り出してくる男ほどろくでもない奴はいない、ということをその時世界で一番実感したのは私だったに違いない。
その男を“ろくでもない”と感じた理由。
それは、「時間がない」と言われたことではなく「時間をつくろうとしない」姿勢を全面に向けられたこと。
「お前は時間を作るほどの相手ではない」そんなことを突き付けられたような気がした。ちょっと自分がかわいそうになった。
日々ランニングに取り組むランナーたちはきっと、ランニングにこれとない愛情をもっているはず!
ランニングをする時間についても、「時間をつくってあげられる」マインドで向き合っていこう。
「時間がないから走らない」はもう卒業。
(自分への戒めを込めて by明日朝早く起きて走りたい私)